登山道の管理日記
「パルナッソス山へ」管理人たにつちの日常。温泉は泉質主義でひなびほど良し。蕎麦屋めぐり、日本の美・チョウ・花・山の撮影など。ニッチでディープを心に留めたい。Discover Deep Japan!
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重要文化財「榛名神社神楽殿、国祖社及び額殿、本社・幣殿・拝殿」、群馬県指定「榛名神社の鉄燈籠」
2015年 08月 15日 | |
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榛名神社あるき、その3。
今回で榛名神社シリーズも最終回です。

双龍門をくぐって、あと少し階段あります。その先には・・

いよいよ榛名神社の核心部エリアが広がります。

はじめに目に入る建物は・・
国指定重要文化財「榛名神社 神楽殿」




その名のとおり、神楽の舞台がある建物。
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さっといきます(笑

神楽殿から右に目を転ずると・・
天狗の銅像の視線の先に、壮麗な拝殿が目に飛び込んできましたが、あ・と・で。
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建物の並びからは、次は、「国祖社及び額殿」です。
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「額殿」というのは、このように沢山の扁額が掲示されているからでしょうか。
次・・

「国祖社及び額殿」の足元に立っている鉄灯篭、、
これが、群馬県指定重要文化財「榛名神社の鉄燈籠」
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新田義貞が寄進したとされる県内最古の鉄灯篭だそうです。

古い鉄肌には文字が浮き彫りされていましたが、、読めません、、
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「唐獅子」のレリーフもいい感じ
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さて、いよいよ「本社・幣殿・拝殿」を観ましょう。
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色彩は少し剥落していますが、壮麗な彫刻で飾られ、これは北関東の典型的な神社様式だそう。なるほど、国宝「歓喜院 聖天堂」などともとてもよく似ています。

石段は、「武蔵榛澤郡 用土村」の人々による寄進ということを発見。
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・・現在の寄居町用土地区、地元といってよいくらい、自分のF市の隣接地区ですから、びっくりです。

社流れ造りというのでしょうか(=>権現造でした。)、拝殿に幣殿が続いて、、
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本殿(本社)になりますが、これが岩に食い込むように造られています。
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この頭の乗った人の形をした岩は「御姿岩」。
奇岩が連なるこの渓谷でも一番のご神体とされている存在ということのようです。

あと、装飾彫刻のアップをすこし掲載しておきましょう。
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この龍は、蛇が巻き付いてるような、気持ち悪いくらいの出来だと思います。
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きりがないですね。
ぜひ、実物をご覧になってください。

境内から降りて、遠くに高崎市指定名勝「榛名神社九折岩」が見えました。
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あの岩にはもっと近づけるのかな?
また、次回、ほかのものも改めて見たいものだと思いながら、参道を後にしました。

(おわり)

(撮影日:2014/08/02)




国指定文化財等データベースから詳細解説

重文指定年月日: 2005.12.27(平成17.12.27)
重文指定基準1: (五)流派的又は地方的特色において顕著なもの

榛名神社 六棟
本社・幣殿・拝殿、国祖社及び額殿、神楽殿、双龍門、神幸殿、随神門

 榛名神社は、赤城山・妙義山とともに上毛三山のひとつとして広く知られている榛名山の南中腹にあり、周囲は巨木のある鬱蒼とした森林に包まれ、険峻な岩山が所々に聳えている。祭神は、火産霊(ほむすびの)神(みこと)・埴山(はにやま)毘売神(ひめのみこと)のほか五柱を祀っている。本社・幣殿・拝殿、国祖社及び額殿、神楽殿、双龍門は、昭和五七年四月二〇日に群馬県指定重要文化財となっている。
 榛名神社は、用明元年(五八六)の鎮座と伝えられるが、史料上の初見は延長五年(九二七)で、『延喜式神明帳』には上野国群馬郡三座のひとつとして記されている。境内には九世紀頃の寺院跡である巌山遺跡があり、御姿岩の対面の岩山中腹には修験者が修行したという弥陀窟と呼ばれる洞穴があるなど、古来より山岳信仰の霊場として崇敬された。中世には別当寺の厳殿寺(がんでんじ)を中心に発展し、三千坊余を擁したとされるが、中世末期には衰退した。近世には東叡山寛永寺の管下となって復興を遂げ、「榛名講」と呼ばれる講などの庶民信仰も盛んになった。近代に入ると神仏分離令に伴って神仏混淆の歴史を終え、現在に至っている。
 境内の中心は、御姿岩(みすがたいわ)と呼ばれる奇岩が聳える狭い平坦地にある。御姿岩の南下に本社・幣殿・拝殿が建ち、この南西に国祖社及び額殿、南正面に神楽殿、南東に双龍門があり、神幸殿は双龍門南東の一段下がった地にある。これらより南に参道が延び、榛名川を渡ったところに随神門がある。
 建築年代は、棟札(榛名町歴史民俗資料館に保管)などにより本社・幣殿・拝殿が文化三年(一八〇六)、国祖社が享保年間(一七一六~三五)、神楽殿が明和元年(一七六四)と判明する。また、記録から双龍門が安政二年(一八五五)、神幸殿が安政六年(一八五九)、随神門が弘化四年(一八四七)と判る。

 本社・幣殿・拝殿は、いわゆる権現造の複合建築である。南から拝殿、幣殿、本社を巧妙に連結した構成で、亀甲形で精緻に積んだ石積基壇上に建ち、屋根は総銅板葺である。本社背面は御姿岩の南下に接し、その奥の岩窟に御神体を祀っている。
 本社は、正面三間、側面二間の隅木入(すみぎいり)春日造(かすがづくり)であるが、内部は庇と前一間が板床で鏡天井の一室になり、後方一間には壇をつくる。両側は擬宝珠高欄付の切目縁を廻し、脇障子をつける。軒は二軒繁垂木、庇への縋破風(すがるはふ)は身舎軒先より内側に入り、幣殿と接続する。
 幣殿は、桁行三間、梁間一間、両下造(りょうさげづくり)で、両側面に擬宝珠高欄付の切目縁を廻す。内部は畳床で、本社側に階を設け、格天井とする。軒は二軒繁垂木である。
 拝殿は、桁行三間、梁間二間で、正面に向拝一間を設け、背面中央で幣殿と繋がる。四周には擬宝珠高欄付の切目縁を廻し、両側には脇障子をつける。内部は畳敷、折上格天井とする。向拝は角柱を虹梁で結び、連三斗(つれみつど)で桁・手挟(たばさみ)を受ける。軒は二軒繁垂木、屋根は入母屋造、正面に千鳥破風、両側面と向拝に軒唐破風をつける。
 これらの軸部は円柱(一部角柱)を長押・頭貫で結び、組物は拳鼻・尾垂木付の三手先で、中備蟇股とし、内部は拳鼻付出組で天井桁を受ける。柱間装置は、板扉・桟唐戸・舞良戸・蔀戸・花頭窓等を配し、壁は板壁とする。
 装飾は、本社の壁や幣殿・拝殿の小壁及び各脇障子を彫物とし、軒の彫物支輪(しりん)、腰の欄間、獅子鼻や象鼻などの木鼻、蟇股、拝殿向拝の海老虹梁の巻龍など、随所に彫物を配している。柱や長押及び貫の外部側も、それぞれ彫物や地紋彫(ぢもんぼり)などを施している。また、全体は赤や黒を基調として塗装し、要所に金箔や多様な彩色を入れるなど、華やかに演出している。
 本社・幣殿・拝殿は後世の修理が部分的なもので、屋根はこけら葺から銅板葺に変更されているが、軸部から小屋組まで当初の形式をよく保持している。

 国祖社及び額殿は、東を正面として建つ国祖社と、その南側面に接続する額殿からなり、すべて銅板葺である。額殿は文化一一年(一八一四)の増築である。
 国祖社は、もとの本地堂で、正面三間、側面五間、入母屋造、妻入で、正面に向拝一間を設ける。前より二間を外陣、次の二間を内陣、背面一間通りを内々陣とし、外陣の二方には擬宝珠高欄付の切目縁を廻し、脇障子をつける。内部は内陣・外陣とも板敷で、内々陣は壇をつくる。天井は内陣を棹縁天井、外陣を格天井とする。向拝は角柱を虹梁で結び、三斗で桁・手挟を受け、軒唐破風をつける。軒は二軒繁垂木、妻飾は虹梁大瓶束笈形とする。
 軸部は円柱を長押・頭貫・台輪で結び、組物は拳鼻付の出組、中備蟇股とし、彫物支輪を入れる。柱間装置は、板扉・桟唐戸・花頭窓等を配し、壁は板壁とする。
 装飾は、内陣・外陣境の小壁には彫物、向拝の獅子鼻や手挟及び龍彫物などがある。全体は赤や黒を基調として塗装している。
 額殿は、南北棟の入母屋造、軒は二軒疎垂木である。内部は板敷、棹縁天井の一室とし、東面には擬宝珠高欄付の榑縁をつける。
 軸部は角柱を長押・貫で結び、組物は三斗で、東面は内法虹梁を入れて吹放しとする。

 神楽殿は、南北棟で北面が唐破風造、南面が切妻造、一軒繁垂木、銅板葺である。北側を吹放しの舞台、南側を楽屋とし、舞台の三方には擬宝珠高欄付の切目縁を廻し、脇障子をつけ、四手先の腰組で受ける。軸部は円柱を虹梁形の頭貫などで結び、組物は拳鼻付三斗、中備蟇股とする。内部は板敷で、舞台は格天井とする。正面となる北妻面は、雷神と雲文の彫物で飾る。

 双龍門は、一間一戸四脚門である。軸部は円柱の親柱と面取角柱の控柱を立て、長押・貫で固め、親柱に冠木を載せ、組物は尾垂木付二手先、正面と背面は詰組とする。屋根は入母屋造、銅板葺、正面と背面に千鳥破風、四面に軒唐破風をつける。軒は二軒繁垂木、妻飾は虹梁大瓶束笈形付である。天井は、前後とも雲龍を描いた鏡天井である。

 神幸殿は、入母屋造、妻入、二軒疎垂木、銅板葺で、東面して建つ。正面一間、側面三間、背面三間の規模で、正面と両側面に擬宝珠高欄付の切目縁を廻し、脇障子をつける。軸部は円柱を内法虹梁・長押・頭貫・台輪などで結び、組物は拳鼻付出組、中備蟇股とし、彫物支輪を入れる。内部は板敷、格天井の一室であるが、前一間通りに内法虹梁を入れて、前後に空間を分節する。

 随神門は、三間一戸八脚門で、低い切石積基壇上に南面して建つ。軸部は円柱を立て、貫で固め、組物は尾垂木付三手先で、正面と背面の中央を詰組とし、中備蟇股とする。屋根は入母屋造、瓦棒銅板葺、正面と背面の中央に軒唐破風をつける。軒は二軒繁垂木、妻飾は虹梁大瓶束笈形付である。
 榛名神社は、中心の本社・幣殿・拝殿が精緻な彫物と濃密な彩色が変化に富んだ全体構成と見事に調和した権現造であり、唐破風造の神楽殿、軒唐破風や彫物などの装飾性に富んだ双龍門や随神門など、江戸後期の北関東を代表する優品として価値が高い。これらは、奇岩が周囲を囲んだ独特な環境にあって存在感のある造形を具備した建築といえ、高い価値がある。

【参考文献】
『榛名神社社殿(幣殿・間殿・拝殿)保存修理工事報告書』(榛名神社 二〇〇四年)
『榛名神社調査報告書』(群馬県教育委員会 一九七六年)
『室田町誌』(室田町誌編集委員会 一九六六年)

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by parnassus | 2015-08-15 22:38 | 文化財 | Trackback | Comments(2) |
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Commented by Sippo5655 at 2015-08-25 21:47
ここは、いわゆる「改装」なることは一切なしで・・・?
凄く、時の流れのそのままの重みを感じました。
岩に、食い込むように・・
本当にそんな風に作ったの!?
作っているところを見てみたいです!
Commented by parnassus at 2015-08-26 23:31
Sippoさん、おそうなりまして・・
「改装」ですか?
なんか、パチンコ屋の新装開店みたいな?!あは。
そういう大きな改変はどうでしょう、でも、江戸時代の建物で、修理は重ねられて旧い形を伝えているのだろうとは思います。
岩に刺さるような本社、実際どこまで深くなっているかわかりませんが、トリックアート的建築ではありますね。
ぜひ、実物をご覧になられて~!
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