
馬見塚橋、星川にかかっている橋で、現在、行田市ですが、合併前には旧南河原村と行田市との境界にあって、両町を渡すかけはしでした。
周辺は農村地区の集落という環境。

コンクリート製ですが、「戦前」の建造物がさりげなく日常の風景として残っていることは、感慨深いです。
反対の欄干には、当時の村の名前が・・

この欄干の意匠がなんといっても見もの

大正ロマンの気風が生きていた時代だったと想像しました。
そして、現代としては、この欄干が異例に低く感じることも特筆です。
アーチの下がった一番ひくいところでは、50センチ以下でしょう。ちょっと足を踏み外すと川へ転落しそうですが・・
これが無粋なガードレールなんかの補修を受けることがなく現代に伝えられていることにも感動します。
ここには「子どもがあぶないぢゃないの!」などと目を吊り上げるPTAはいなかった。よき農村が続いてきたに違いにない。
橋の下にも降りられました。

橋の下、裏側は、さすがに近代の補修補強が行われているようです。
河原からのショット撮ったときに、車が通りがかりました。

ここを探して着くのに、実は、あまり太くない道で、かなりわかりにくかったのです。
が、着いてみると地元民の生活道路として結構な交通量があります。
幅も車はすれ違いできない小さな橋ですが、今でも重要な存在であるようでした。昔はさらに輝かしい存在だったでしょうね。
(2009/02/07 訪問)
中2まで暮らした岩手・一関、町の東に北上川が流れてました。
ここにかかってたのが通称「もぐり橋」で、欄干などのない橋でした。
後年、四万十川などにも同じような橋があって、増水でオーバーフローしたとき、上流からの漂流物による橋の損傷を小さくする知恵だとか…。
この橋の欄干の低さにもそのあたりの配慮があったのでは…。
でも、もぐり橋を自転車で渡るときはちょっと怖かったです。
川がものすごく近く見えて、流されそうな感じがしましたから…。
ほ~名に聞く、北上川の近くにお住まいでしたか。。いつか見たいです。
四万十川は行ったことがあるんです。見ましたよ、欄干のない橋。。それは「沈下橋」と呼ばれてました。岩手でも「もぐり橋」というんですね、同じ意味でおもしろいですね。
でも、この橋が浸水するかなあ、、というと、、?
無駄に高い欄干は必要ないと思われてた、そんな常識だった時代をこれを通じて見た、というのが個人的に見解なのですが、、真偽のほどは?

