現在は餌付けはやっていないはずだが、まだ来ているんだな、と河川敷に降りて行ってみることにした。
ところで、あまり知られていないことだが、押切橋から植松橋にかけての荒川河床そのものが、新世紀地層の露岩となっているのだ。
数年前、県自然史博物館と市教育委員会とで開催された観察会に参加し、勉強させてもらったことがある。
現地に立つと、地層の硬い岩層が削られずに残り、川を横断する堰のようになって、天然の「奇観」を呈しているのがわかる。
下位より福田層、土塩層、楊井層、山崎層と区別されているとのこと。
これらの地層からは、かつて、古くは巨大な古代サメのカルカロドン・メガロドンの化石が発掘されたり、新しくは樹木や堆積した葉の化石がみられ、サイも発掘されたことがあるそうだ。
水辺に沿って歩いていくと、古木が切株のような姿の化石があった。
この樹種はメタセコイアなのだと習った。
さらに別な場所では、丸太状態の姿で露出しているのに出会った。
見えてる部分でも2mはあろう。普通木材の株の頭が見えているだけで、こんな姿の材化石は、観察会のときでもまったくなかったので、びっくりだ。
化石といっても、石化しているわけでなく、古い地層に埋もれた、やや炭化したように黒く、おそらく火をつければ燃えるだろう。
ここ楊井層は、約900万年前のものだそうで、その閉じ込められた時間はあまりに貴重だが、意外にもあまり変わらないのだなと思う。
知らなければ、たき火のあとの丸太が流れついたくらいにしか見えないかも。
丸太化石は、水中まで続いて埋まっている。
一部がくだけて散乱して近くに落ちていたので、お土産に拾った。大切にする。
この荒川河床地層の存在は、あまり知られていないが、埼玉県内で、長瀞に続くジオスポットではないかと思うのだがどうだろう。
最後にお願い。これらの化石や地層を、むやみと掘り出したり破壊したりしないようお願いしたい。
ちなみに白鳥は、この一帯の河川敷には一頭も見られなかった。人を避け、あちこちに散らばっているようだ。
(取材日:2015/01/25)
なんと、メタセコイア化石ねらいで・・よくよくご存知の場所だったとは、、さすがです。
ほんと、場所によって化石林と呼べるほどの密度ですよね。
>いつかは風化して、消えてしまいそうな感じがしますが
上記の公開講座の折、今出ているものもいずれ川の流れに洗われ消えますが、また新たに洗われて出てくるとのご教示でした。
貴重なものなのに、刹那な部分もあって感慨ありますよね。
ここで書いてしまいましたが、多くの人に知ってほしいような、反面知られたくないような、そんな場所だと思います。