「前橋へ三十四米千」
(群馬県沼田市「鷺石橋」昭和4年(1929)竣工)
橋の親柱の銘板に目的地までの距離が示され、里程標とされています。
昭和4年という時代を想像するのも難しいですが、当時の案内標識については、大正11年制定の「道路警戒標及び道路方向標に関する件」により「道路方向標」の様式しか決められていない時代でした。
ほとんど標識らしい標識が決められていない時代背景の下、こうした工夫が行われていたのでしょうか。
実は、群馬県道255号について、調べようとググったら、すでに「山さ行がねが」の道路レポートで対象になっていました。しかも、けっこう熱くww
http://yamaiga.com/road/gpr255/main4.html
本筋とは違う部分、また2007年のレポート別な橋についてですが、こうした里程標が銘板にある橋が最後の方に登場します。
ヨッキれんさんをして「橋の銘板にこのように道しるべ的なものが書かれているケースは稀で、私は他に数例しか知らない。」と書かれています。
そこでこの鷺石橋の親柱のことを思い出して、掲載した次第です。
もう一つの親柱は、判読が難しいですが「〇(さ)ぎ以志ばし」と橋名を表示しているようです。(反対岸の親柱は、階段が作られたため現在残っていません)
鷺石橋は、群馬県の橋梁でも一級の気合の入ったものだったはず。 (2000年、ぐんまの土木遺産に認定)
現在は、国道120号・291号がとおり、少し前にはさらに国道17号が通っていた3国道が重複する橋でした。
そして反対方向のたもとは国道145号の終点となっているという、交通の要衝である橋なわけです。
(ただし竣工時、大正道路法においては、何の道路が通ったのかは、今後の宿題ですが)
その橋をもって、こうしたことがあることは、この表示の運用が群馬県では往々に行われていたのでは?という仮説を立ててみたいと思います。
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