
(正面から)
平成の合併により、今や深谷市となった旧岡部町・・その後榛沢という大字に立つ「道路改築記念塔」なるものがある。目にしたことがあったかもしれないが、これが何なのかまじまじ見たのは初めてだった。そしてこれが、道路関係の記念碑で、しかも珍しい形をしたものであることに、今の興味に合致した。

(扁額部)
扁額部は大理石と思われる白い石に明瞭に「道路改築記念塔」と刻まれている。
「記念塔」としたのは、なぜだろう。浅学はなはだしいが、道路関係で記念塔というもの初めて見る。

塔の上の建物のような作り物も珍しい。

妻の部分に花柄のような意匠があるが、これまた何かわからない。
「お社」を乗せたのだろうと思われる。

(背面)
背面には、お約束で、この碑が建てられた説明部の彫刻がある。
しかし、掘りが深くなく、文字を判読するのは、普通には難しい。

この角度で、またコントラストを強めて、ようやく読めてくる。これによると、昭和4年10月に建てられたものだ。
大正道路法の下で作られた道路・・に関する碑文で、いっそう興味深い。
可能な範囲で書き起こしてみよう。
本道は 縣費補助を受け 昭和
元年度から昭和四年度迄 継
続工事施行道路改修 延長壱
千五百四拾二間 道幅二間 工
事費 壱万五千九百四二圓
昭和四年十月 建之
時期、道路の長さと幅員、工事費用という簡単な記録で、改築に至ったストーリーは読み取れず残念
しかし、道路幅員を2間(360cm)にする道路改良でこんな記念塔を建てるほどだったことは、
当時の道がいかに狭いものだったか理解することができる。
碑文の下の部分には、村長らはじめ関係者の名簿部分だが、ことさらに読みにくく、現地では解読不能だった。

これも可能な範囲で書き起こしてみよう。
関係職員?氏名
村長 角田保治
區長 青木七郎
區長代理 青木健太郎
監督技士 遠藤三男
工事請負人 新井〇〇郎
記念塔工事費寄附者
角田〇〇青木七郎
かなりがんばった・・
區長とは、今の自治会・町内会くらいの単位と思う。

(右面の扁額)
「左側通行
道路を愛しませう」
(左面の扁額)「左側通行
道路愛護」
とある。
まだ当時、左側通行が一般的でなかったのだろうか。
また、道路を愛しましょう・道路愛護、と呼びかけるのは、道路記念碑としてふさわしいといえばふさわしい。
ただし「愛護」の「護」の字が、草冠に誰・又 という篆刻になっているのは、古めかしいが、誤りではないのか。

ところでこの記念塔は、T字交差点の突き当りに建てられている。
どっちの道が改築されたのかわからないが、おそらくここに突き当たって進んでくる方の道ではないかと思われる。
この珍しい遺物が残る後榛沢地区は、ディープな気配をかもす。これからも大切に遺っていってほしい。
なお、GoogleMapにはこれがプロットされていなかったので、「地図に載っていない場所を追加」で提案したところ、採用されたので、現在みられるはずである。
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