(2024/03/28更新)
まだ車で寝袋にくるまっているとき、大きな地震に見舞われた。しっかりした初期微動のあと、強い本震があった。//
地震発生時刻 2024年3月17日 06時17分ころ
震源地 福島県沖
最大震度 4
マグニチュード 5.4
宮城ではゆれても震度3程度ということだが、とてもそうは思えなかったが・・
車中泊したのは、道の駅かくだ。なぜなら隣接する公園に交通公園エリアがあり、UFO灯器があるからだ。
だが、UFOの撮影は後にして、先に、近くにある旧標識へ会いに行くことにした。
旧標識3「学校あり」
金津小学校の正門から近くにあった。やはり民地に立っているため、遺されているのだろう。
素晴らしい状態のものだ。裏に関東エナメル銘あり
群馬で折れ曲がったこの標識に会っていたが、これだけよい状態のものに初めて会った。
「足長小学生・元気のよい小学生」とも呼ばれる、旧標識の中でも秀逸なデザインで、個人的に一番好きだ。
じっくりと触れあい、うれしくなって幸せを感じるほどだった。
UFO5 角田市交通公園
交通公園に戻る。公園のオープンは9:00らしく、まだ稼働していない。
ここは、仙台市のとは違い、設置されている信号機は一基のみで、それがUFOなのであった。
ここのUFO灯器は、なんと昭和63年製だった。そんな時期まで作っていたのか!
末期、最後期のものであろう。
交通公園内のUFOは、いわば博物館の動体展示で、まだまだ保存されるであろうから、点灯しない状態を軽く記録撮影して、またね。
さて、以前から、東日本大震災の被災エリアを実際に見てみたいと思っていた。
13年目にして一部にようやくの訪問。
亘理町「鳥の海」という観光地にもなっているらしい小さな湾まで行くことにした。
海岸沿いのエリアだが、海側には防潮堤が延々と築かれ、太平洋は堤防に上らねば望めないのだった。
これが震災後の防災の景色・・なるほどねと思うが、美しい海の景色は日常的目線からは失われることになった。
定食屋 フラミンゴ
港周辺には魚料理の店もいくつもある。が、やはり開店前の時間。
唯一「フラミンゴ」というお店が開店し、できたての魚の総菜から売り始めている。
悩んだ末「スズキのフライ」550円を朝飯としてゲット。大きなブロックのフライ3つ。
店内で食べられるというので、入らせてもらい、撮影しながらいただく。
スズキなんて、今まで食べる機会がなかったけれど、白身でまったくクセないし、美味い。
食べているうちに、食事の人へのサービスの「あら汁」も出していただいた。これがまた複数種の魚貝のアラが入る、汁物の宝石箱。美味い。
関東近郊の港隣接の魚料理屋には、観光地料金で金額が高いばかりで味はイマイチと、いいイメージをもっていなかったけれど、今回は違った。
こうよい方向に裏切られるも東北クオリティであろう。
名物「はらこめし」の弁当も買えばよかった。ケチったのがくやまれる。。
車載:福島県道・宮城県道38号相馬亘理線
ここ亘理町から相馬市に続く、県道38号を車載撮影することにし、しばし道活モードに。
この道は、復興事業によるバイパスが整備されて、高速いらずのすごい道だった。
山元町震災遺構 中浜小学校
途中にある、震災遺構「山元町震災遺構 中浜小学校」を外観から駆け足で見学。
建物内に入るには400円。解説員がつき1時間以上見学するだけの内容があるらしいけれど、今回は簡略で失礼。
写真は、手前に新たにつくられた大きな日時計とバックに校舎
それにしても、山本町付近の、堤防も兼ねた県道40号から見える海側の土地には、広々と畑が広がるばかりで建物は排水機場などの管理施設が点在するくらい。
畑として農業は営まれているが、人の暮らしは感じられない。海沿いに多額の費用をかけて築いたろう第1防潮堤が連なるが、殺伐というか冷たい景色が続いていた。
防災をふまえた復興の方向性として、これが正しい在り方だったのか。
また、福島県に入ると防潮堤はなくなったが、代わりにやたらと防災緑地公園というようなものが整備されていた。
これを見て、ぼんやりのオレのような人間にもわかった。
大震災の後、そこにあった人の営みや生活を再建するだけの活力が、この国にはなくなっていたのだと。
この国は、いつの間にか、本当の本当に、人も力も足りない国になっていたのだと。
それがわかったとき、情けなさや痛みさえ感じた気がした。
前のように戻しての再建はできず、活用しようする資本も出されず空いてしまった土地・・
復興予算などが充てられたのだろう農地としての基盤整備を行ったり、防災をテーマとした公園が「ほかの活用方法がないから」行政によって作られて、なんとかまちの景観を取り繕って、それを復興の形とした、、誰がみてもそう見えるだろう。
被災地の当事者の方々には、ごめんさい。よそ者が簡単に判断したりこう書けるようなことでもないかもしれないが、愛すべき日本という国についてのことで、あえて。
ほんの一角を見たにすぎないけれど、13年後の被災地のリアルを実感したことは大切な経験となった。
車載:シーサイドロード
県道38号に続き、道活、松川湾の砂嘴、大州海岸をぶちぬくシーサイドロードを撮影。これは左右に海がすごい景観。
新地IC近くにある
旧標識「白石/新地」へ向かった。が、むなしく標柱のみ立っていて撤去を確認。ごく最近らしい、無念
車載:東北中央道(相馬福島道路)
続いて、2023年に全線開通した東北中央道(相馬福島道路)を車載撮影。
全線で無料区間。気になっていた道、ようやく。これは早めにまとめYoutubeアップすべき案件か。
包丁未遂 4面4基 福島市で撮り信。円弧アームの包丁未遂が、4方面4基ともコンプリートで遺るすばらしい交差点。
これがまちの中心部に遺っている奇跡。前橋もそうだが、同じ傾向があるのだろうか。
ほかにもネタ灯器が色々あるようだが、事前のチェック不足と、時間も気になる。
今回優先して記録したいものとして、三春に近い郡山の宇宙人灯器に向かうことにした。
福島市から郡山まで距離はあるのだが、初めての道、県道40号を縦走することに現場決定。
UFOふれあい館 県道40号の起点近くに「UFOふれあい館」なるB級スポぽい施設があった。こういう偶然が行き当たりばったり旅の楽しさ。
TVでやってた「UFOが見られる山」というのが、ここだったのだ。
今回のロードのテーマがUFO灯器めぐりゆえ、これも何かの因縁かと。
ただし、ここも入館は400円と有料、ゆっくりする時間も厳しいので、隣接する売店を周って撮影。ケチな観光客ですいません。
車載:福島県道40号飯野三春石川線
旧標識5「市町村『飯野町』」 県道40号に入ってすぐにあったもの。写真では目にしたことがあったが。自己発見。
これも民地に立てられたものゆえ、撤去をまぬがれてきたようだ。
県道40号は、間違えずにトレースするのに難易度が高い道だった。2回ほどミスした。
途中で別の主要道と何度か重複するが、重複関係になると、青看から40号の表示がなくなることが多い。
三春町・・ずいぶんあか抜けた観光地として、役場も建て直されたようだし周辺の町並み整備されていて驚いた。オレがウラシマなだけだが。
久しぶりすぎて、いつの間にこんなに変わっていたのか。これは「滝桜」ほか花見観光による賜物か。
三春町を抜けたところで「宇宙人灯器」交差点へ。
4基の宇宙人、うち1基は土管フードで初めて会うもの。よきよき。
40号もほぼ終点、石川町の商店街では、以前撮影しそこなっていた白看が無事遺っていてくれた。
旧標識6 103C「水戸」
旧標識7 103B「鮫川村/水戸」どちらも鉄製で裏は茶色く錆びているが、鉄板時代の白看板としては、かなり状態がよい。
もう帰路へ着かねばならない時間か、、
白河へ向かうのは続いて、県道11号で。これも全線トレースしたことになるのかな。ただし逆光になる時間で残念。
白河市街で、
宇宙人灯器があるのを自力発見。これは確認のみ、きちんと撮影しなかったので後日案件。
福島の地の信号機業界では、京三が強かったのか? かなり宇宙人灯器がまだまだ遺されているように感じた。うれしい今後の宿題。
帰りどこで汗流しをしようか。意外とこの道沿いには少ないというか知らない。
今回、湯がぬるかった。また、薫りも薄目で、今回あのパンチの湯が味わえなかったのが残念だったが。
温泉での時間調整により、東北道の渋滞にもかかることを回避でき、それほど遅い時間にならず帰着できた。