(2024/08/19開始・2025/06/22更新)
群馬や長野の道路をドライブしていると濃い緑色の看板(ここでは「ロマ標識」と呼ぶ。)に出会う。
「日本ロマンチック街道」の看板だ。
令和の時代となっても、それらによって厳然と存在を示しているが、どうもあまりはやっておらず、気に留められているようにも思えない。

高山村区内 国道145号上にある巨大看板
街道全体の中央地点として、設置されたものだろうか。カラフルな風景画タッチで、うるおい標識などの概念を越えた存在。当時の熱量は察するものがある。群馬県としてもかなり噛んでいた企画と推測。
なくならないでほしい位には、個人的にはオシている。
人知れず、風前の灯火になっているかもしれないことを危惧する。
再度注目を集める道路仕組みになることにエールを送る意図で、ツッコミたい。
■基本情報
・発足の経緯 1987(昭和62)年 発足
・参画市町村(2025現在)
長野県:上田市、東御市、小諸市
群馬県:嬬恋村、草津町、長野原町、東吾妻町、中之条町、高山村、沼田市、みなかみ町、川場村、昭和村、片品村
栃木県:日光市
観光活性化の先駆け的な取り組みかと思っていたが、そう古いものでもない。
昭和末期だ。ちょっと昭和テイストなイベントか。
そして圧倒的に群馬県の市町村がメインの構成団体だ。
個人的なことになるが、関東の地へ移住したのは平成のあたまである。
当時、日本ロマンチック街道が、華々しさをもって人口に膾炙されていた記憶あるが、まだできて間もない鮮度の高いころだったということか。
その後「だから何なの」的な空気で、その枠組み自体は忘れられていった気がする。
現在の事務局は、嬬恋村観光協会(役場内)に置かれているが、HPはつくっているが想像だが主体的な動きはないというか見えない。話をきいたことはないが、しかるべきマスコミの肩書がある方に聞いもらいたい。
個人的には、まだ続いてほしいと思っているし、再び注目される日が来ることがあるといいが、残念な点を挙げておく。
■図の誤り
広域地図タイプのロマ標識ではその「街道」を模式的に(ざっくりと)描いたものだが、とにかくわかりにくいというか、精度が低く誤りと言えるほどの位置関係の不正確さが多い。

例えば左上あたり「嬬恋村」となってるポイントがよくわからないが、これは、白根山の位置が道との関係で誤っているため。
また、中之条町と東吾妻町も、〇が役場位置を指しているとすると、離れすぎている。だから、その周辺の街道がどの道を指すのか、判別しがたい。
沼田から南に延びる昭和村とつながる「枝道」もあるが、実は、この位置ではなく、関越道の東(右)側を通る道であった。
公式ページの図がずっとこれを踏襲しているし、今さら修正しようにも、かなりの枚数あって、費用もバカにならないし現実的に無理だろう。
模式地図だとしても、どうしてもっとよく確認しなかったのだろう。
昭和クオリティとはこんなものか? 始めが肝心だったという失敗例を体現してしまっている。
■どのみちが街道なのか、よくわからない
図の誤りともあいまって、街道と名乗りながら、どの道がそれなのかはっきりしないのは、致命的だ。
また詳細図で、これですと示すことも公式に行っていない。なぜか?ぼんやりさせたままで、よかれと思ったと信じがたいが、そうなのかもしれない。
少なくとも現実にロマ標識が立っている道は、それと考えてよいだろう。
え?この道がそうなのというところで発見されることもしばしばある。一筆書きになっていないかもしれない。
それから推定する路線図をマイマップに落としていきたいと考える(まだ未着手)
標識マニアとしては、ロマ標識の全件をプロットしたいと思っている。
(*マップの公表後は、それにない標識情報、コメント欄などでお知らせいただき、調査協力にぜひお力添えを!)
大型の「広域地図タイプ」のロマ標識なお、ロマ標識の独自性として、足元へ行くほど、2本の間隔が狭くなる支柱に設置される。他の標識には例をみない。特徴づけんとするアイデアだったろうが、足元ほど「先細り」になる不安定感は、気持ちよくない。
■軽井沢が参画をやめた
観光地の雄である軽井沢町、当初は参画していたが2018年度から離脱している。この企画が見限られた感が強い。
構成市町村の中で、最も「ロマンチック」なイメージに近かったろう軽井沢町が抜けてしまったことの痛手は大きい。
沼田市 吹割の滝 近くにある大型のロマ碑(2019/04撮影)かなり新しい状態のもので、旧・利根村が沼田市に合併した際に更新したものと思われる。インバウンド向けの4か国語訳もあるなど他と異なる(詳細別記事はこちら)
■宇都宮市や鹿沼市も脱退した日本ロマンチック街道について、Web検索しても多くの情報がない状況であるが、いくつかのもので、「上田市から宇都宮まで」とするものが見られた。
前々から「道の駅ろまんちっく村」はなぜその名前なのだろうと疑問を感じていたが、その宇都宮側の端点とするために、その名前としたようである。
過去のWebアーカイブで2009年以降の公式ページにおいては、宇都宮が参画していたり、街道MAPに記載がなく、知らなかった。
調べを進めると、たしかに、日光より先に宇都宮市と、鹿沼市が加わっていた時期があった物証も拾うことができた。
1997年時点で、両市が加わっていることが確認でき、全長350kmとされていた。
2008年ごろ脱退したようである。理由はわからないが、直接、自治体に聞いてみる手はあるかもしれない。
■渋川市(旧伊香保町)も脱退
ちょっと古いロマ標識には、渋川市が掲載されているものがある。渋川市とあるのは、元々伊香保町が加わったのち、2006年渋川市に新設合併したものだ。
伊香保から渋川市と記載が変更されたが、現在のルート図にはなくなっている。
脱退時期は、2010年に六合村が中之条町に編入合併したより後の時期と推測される。
ロマ標識上「六合村」を「六合地区」に修正したが、まだ渋川市の削除までは修正していない。脱退は数年のことかもしれない。
(つづく)