(2020/10/25撮影 2024/12/03開始 )宝川橋(1957・昭和32年竣工)群馬県道264号宝川久保線、宝川温泉に向かうときに通る「奥利根橋」の隣にかかっている旧橋「宝川橋」。2024/11/21付け群馬建設新聞などで2025年度から複数年で解体されることが報じられていた。
1957・昭和32年竣工 橋長約69m、幅員約2mの鋼ワーレントラス形式RCT桁橋。壁式橋脚1基と橋台2基の構成。
シンプルな、ザ・ワーレントラス橋で特別の装飾性はなさそうだけれど、紅葉の素晴らしい立地にある雰囲気のよい橋だっただけに、無くなることが決まって残念。
しかも、この橋の隣には、小生が知る限りWebでも報告例をしらない、宝川橋・旧橋の遺構も残されていて、現行の奥利根橋を加えて3代の橋が並ぶ、橋梁マニアにとって熱いはずのスポットなのである。だから、今回は、Webでの第一号記事となることを企図して駄文を書こう。
銘板(橋名)銘板(竣工年)幅員2m。車道橋としては厳しい幅。軽自動車でなんとか通行可
訪問時までは歩行者専用橋として供用されていたが、2021年の定期点検により、それ以降、通行止めになっていたそう。このとき歩行できてラッキーだった。並ぶ宝川橋と奥利根橋。銘板では、奥利根橋も架設時には、宝川橋という名称だった。橋台は、今後の解体でも残されるという。さて、では次に・・これが「宝川橋・旧橋」だ!旧宝川橋・主塔。旧橋は、吊り橋だった。
この旧橋も、コンクリート製の主塔で、飾りっけのない簡素な構造もの。装飾を排し、実用に徹した美学をも感じる。これが何年に架設されたのかなどなど詳細は現在のところ全くつかんでいない。が、S33年以前の地形図をみれば、宝川温泉へ通じるためのこの橋があったことがわかる。1958(昭33)再測量の1/5万地図「藤原」には、2本の橋が記載されている。
今の地図でも似たようになっているが、今の奥利根橋と宝川橋ではない。この旧橋と宝川橋なのだ。
当たり前だが、当時は並んでいたことを思うと胸アツである。
旧橋につながる前後の道を探索した。
歩行者専用道として遺る旧道のとなりに、旧・旧道の道路敷らしいものがあった。
その脇は、玉石積みのあまり堅固さは感じられない簡素な擁壁になっていた。
かつての築造スペックはこんなものだろうか。
道路だったろう延長線では、もう林になっていて、路盤などはうかがえない状況。廃道も極まれり。
この主塔も、林に埋もれてほとんど気づかれない存在だったのではないか。
また林の中では、まだまだ現役の木製電柱が検出された。
しばしばあるとは思うが、すごいね。絶滅危惧ではあろう。
2025年から順次解体が始まると、この3代が並んだ姿が見られるのもあとわずか。
訪問するなら、お早めに!
ということで、とりあえずこの記事をお開きにする。