(2025/06/22開始)
ロマンティッシェ・シュトラーセ記念碑
(引用元:Wikipedia「日本ロマンチック街道」から引用・利用)
草津の湯畑の脇に「ロマンティッシェ・シュトラーセ記念碑」が建つ。Wikipediaが出典とする、熊川栄編著『日本ロマンチック街道歴史紀行』 1998 p.326には、「30年以上にわたりドイツとの異文化交流を行なっている元草津温泉観光協会長の中沢晁三が当初「ロマンティッシェ・ストラーセ」と名づけた」そうで、草津町の中沢氏が日本ロマンチック街道の枠組みを作った中心人物であり、また草津町のお膝元に、この記念碑を建てたものだろう。
日本ロマンチック街道と訳される前の「ロマンティッシェ・ストラーセ」という今は一般的でない名称の記念碑には、発足当初の息吹を感じる。(*その訳語もあえて「ロマンチック」の標記が採用され、個人的にはより自然と感じる「ロマンティック」ではないところが注意だよな~)
それに彫られた概念ルート図をみると、構成自治体としては、起点の小諸市、軽井沢町、草津町、そして終点の日光市の4つしか記載がない。
4つの自治体で始められたのか、それとも途中は省略されているだけか、今後の課題である。その後、沿線のいくつもの自治体が、参加したり脱退したりを重ね、構成市町村は、複雑な推移をたどるが、以下にネット上で「物証」がいくつか拾えたので、それを利用させていただき、推移を検証したい。*引用元について、今後順次加筆していくつもりだが、まだなくて失礼
■発足当時に近い形?
テレホンカード(テレカ)(引用元 )
テレカというのも、携帯電話~スマホの普及により、すっかり近現代文化資料(当社造語)となったが、自由な印刷面は、格好の宣材にもなった。このテレカが発行された年は詳細不明だが、小諸市から日光市まで、リング状に街道が並走する箇所があるが、今に比べてシンプルなルート図である。街道といえる。発足初期のルート図、構成市町村とみる。
ハイウェイカード(引用元 )ハイウェイカードが発行された期間は、1987~2005だそうで、発行が終了してもう20年の近現代文化資料だが、これにも同じルート図のものがあった。また、湖沼と樹々とをデザイン化したのだろう、今に続く日本ロマンチック街道のロゴができたのもこの時期とわかる。
発足初期の構成市町村は、次の15自治体長野県:小諸市、御代田町、軽井沢町群馬県:草津町、嬬恋村、長野原町、六合村、吾妻町、中之条町、高山村、沼田市、白沢村、利根村、片品村栃木県:日光市
■最盛期の最大構成市町村
嬬恋村にあったロマ碑の盤面(引用元 )2005年~2010年の平成の大合併の前、もっとも参画自治体が多い状況のもの。つまり日本ロマンチック街道最盛期である。
最盛期の構成市町村は次である(発足初期からの追加が赤字)長野県:上田市、東部町、小諸市、御代田町、軽井沢町群馬県:草津町、嬬恋村、長野原町、六合村、吾妻町、中之条町、東村、伊香保町、高山村、月夜野町、新治村、水上町、沼田市、昭和村、川場村、白沢村、利根村、片品村栃木県:日光市、今市市、鹿沼市、宇都宮市
これが、東の端点 宇都宮市(ろまんちっく村)時代の構成市町村。
この板面が作られたのは、もっとも早く合併した「東御市」がまだ「東部町」であるので、2004年4月以前の時点のものだ。また、各自治体のウリをピクトグラムのようなマークにしているのも、これで初めて見た。何をわがまち一番の目玉と考えていたのかたいへん興味深い。
なお、この構成市町村の増大により「枝線(脇街道)」も多く生じることになった。全部をひとつの「街道」と呼ぶのには、無理っぽさも生じていたのではと思われる。
片品村のロマ標識である。(引用元 )
上記との違いは、「東御市」「東吾妻町」「みなかみ町」「渋川市(伊香保温泉)」になっていること、「白沢村」「利根村」が消えたこと。
これは、言うまでもない平成の大合併による変更である。実質的なエリアは変わっていない。
(つづく)